壮大な嘘、ありふれた境界線

頭の回転が逆回転中の猫の悲鳴が聞こえたのでジョセフィーヌは舌打ちをしたのだけれど、それは単なる勘違いであって、馬小屋で生まれた赤ん坊の悲惨な第一声であった。人間が生まれてまずはじめにすることは悲鳴をあげることなのだと言って、誰が反論できるだろう。悲鳴をあげられなかった子供はそのまま透明なピンク色の夢を見続けることになる。悲鳴をあげた子供は目覚めてその後何を見るか、それはあなたが一番良く知っている筈だ。
取り敢えずジョセフィーヌは勘違いをしたままである。しかしスパゲッティを茹でて食後にテレビを見ながらコーヒーを淹れて歯磨きをして就寝するという一連の動作の中に、その勘違いを正すきっかけが存在するわけもなく、ジョセフィーヌは夢を見る。
視界一面に広がる黄色い海、顔を出すのは出来損ないの人魚、蒼褪めた太陽、ピーナツバターの匂いがする風、飛び出した畸形のかもめ、わたしは一体何を見ているんだろう、目をいくらこすっても、ぎゅっと深いまばたきをしてみても、海は黄色いままである。誰かが「元の場所には戻れないからもう諦めなさい」と耳元で囁いた。それは幾らかショッキングな話ではあったが、わたしは見慣れない世界に少し興奮してもいた。だからわたしはすぐに、真っ赤な砂浜ではさみが三つに分かれた緑色の蟹と遊び始めた。
次の日の朝にジョセフィーヌは馬小屋で赤ん坊が生まれたことを知って、また一つの新しい世界が始まったことを、喜ばしいことのようにも、だいぶ悲劇的なことのようにも感じるのだった。
わたしは嘘を吐く。「元の場所に戻ってマーガリンを塗ったトーストを食べたい」ピーナツバターの匂いがする風はじっとりと生温い。