生温い空気の夏の雨の日における素描

「絶望したんだ、と高らかに宣言してみせることは簡単だ」、フレデリックは神経質な音を立てながらラズベリーのジャムが入ったガラス壜を銀のスプーンで引っ掻き回している、その青白い腕には嘘吐きの女の子に引掻かれた赤紫色の爪痕がある、あまりの鮮やかさにわたしはその痛みよりもラズベリーのジャムを摂り過ぎなのではないかと思い至る、皺のついた黒いTシャツ、エメラルドグリーンみたいな血管、その影、蛍光灯を反射するスプーン、明確なコントラスト。沈殿した甘ったるい匂い。「そう、だから、絶望しているということは何の優位性も持ちはしない」、うつむくわたし、アイシャドウを塗っていない瞼、睫毛、わたしはコットンの水色のワンピースを身につけていて今日はじめて水色が自分に似合わない色だと気付いた(薄々感づいてはいたのだけれど)、かなしい歌、左目の見えない羊の歌。「自分の呪詛の言葉が本当に届くべき人間には決して届かないことなんて、彼等自身が一番よく、気付いている筈なのだけれど」、視野の狭い羊の暗闇のなかに見えるのは、半透明の鳩、羽が一枚多い蝶、ターコイズブルーのばらの花、ヴェールのような子供の産毛。例えば、整列している無表情の子供たちや儀礼的に交わされる挨拶や真っ白なままのノートブックなんかは見ないで済むに違いない。「人の話を聞いているの」「全然聞いてなかった」全然、聞いてなかった。コップを満たすミルクとバターが溶けて染み込んでいくトーストと目玉焼き。わたしたちは結局のところ言葉を必要としていない。けれどそれは全然悪いことじゃない。わたしたちは結局のところ本当の絶望なんて知らない。今こうやって呼吸しているんだもの。その爪痕があまりにも綺麗なんだもの。