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生温い空気の夏の雨の日における素描

「絶望したんだ、と高らかに宣言してみせることは簡単だ」、フレデリックは神経質な音を立てながらラズベリーのジャムが入ったガラス壜を銀のスプーンで引っ掻き回している、その青白い腕には嘘吐きの女の子に引掻かれた赤紫色の爪痕がある、あまりの鮮やか…

火照ったコンクリートの熱が、ゴムで出来た靴底を通じて侵入してくるのだけれど、汗はかかないし、足元がふらつくわけでもなく、ただ真っ直ぐに進んで行く、何メートルか先で揺らめく空気から目を離さないように、「行き先はわからなくてもただ歩け」とあな…

一本だけ足を失った驢馬は自分の体重を三本の足では支えきれずに乾いた砂の上に座り込む。座り込んでしまった所為で足を失ったことに他の人たちは全く気付かず、怠け者と罵った。しかし驢馬は反論するために立ち上がることも怠惰ではないことを行動で示すこ…

A girl in the twilight

ホットミルクにラム酒を少しだけたらしてシナモンスティックでそれをかき混ぜる、という飲み物が入ったマグカップを両方の手のひらで包み込んで、その熱が徐々に自分の体内にも伝わっていくことを感じながら、日が暮れるのを待った。マグカップは陶器で白く…

no title(something blue)

小さな鳥の鳴き声がするので私は目を覚ます。わたしは泣いていた。矛盾と孤独と渇望と背信を抱えて、青みがかったベルベットのように、色彩を失った世界がそれを再び回復する過程のなかで、わたしは声も出さずに泣いていた。今日も鳥は鳴く。静かな朝の訪れ…

壮大な嘘、ありふれた境界線

頭の回転が逆回転中の猫の悲鳴が聞こえたのでジョセフィーヌは舌打ちをしたのだけれど、それは単なる勘違いであって、馬小屋で生まれた赤ん坊の悲惨な第一声であった。人間が生まれてまずはじめにすることは悲鳴をあげることなのだと言って、誰が反論できる…

noise

高層ビルのエレベーターの耳鳴りに彼は顔をしかめてその細い首を少し傾げて片方の耳に指を添えた。全ての音――床材と靴裏の衝突音やささやかな会話やエレベーターの作動音――は張り詰めた緊張感に掻き消され――そして幾分か視界はのっぺりと拡がりを失い――幻覚…

多分アイスクリームは溶けきっている。その甘さを思うと喉が乾いたので、罪の無い子供の涙について考えた。多分ドライアイスに意味は無かった。空気中に霧散したその白い塊について思うと目が焼けたので、世界の終わりに虹色に発光する空を想った。そして多…

shoe gaze

日々、影の濃度は増していく。ヘッドフォンをつけてサンダルとペディキュアを見つめながら歩いていたからふと顔をあげたときそこにいたその人を見て蜃気楼かと思いまばたきの次の瞬間には消えてしまいそうなその人はこちらをちらりとも見ず通り過ぎるのだけ…

消失点を喪失した世界に彼女は立っていた。青い血管の浮き出た痩せ細った二本の足と遠慮がちに丸まった柔らかい背で彼女はただ立ち尽くす。平衡感覚だとか距離感だとか空気の確かな重みだとか、そういったことは既に彼女にとって問題ではなくて、長すぎるエ…