消失点を喪失した世界に彼女は立っていた。青い血管の浮き出た痩せ細った二本の足と遠慮がちに丸まった柔らかい背で彼女はただ立ち尽くす。平衡感覚だとか距離感だとか空気の確かな重みだとか、そういったことは既に彼女にとって問題ではなくて、長すぎるエスカレーターをふと振り返ってみることだとか線路の下を覗き込んでみることだとか、そういったことはつい先日彼女にとって何の問題でもなくなった。「世界と闘うことは目を背けないことだ」と彼女はただ言う、空気の微かな震え、すぐに消えてしまう震え、全ての問題を背負いこんでしまわざるを得ない人特有の震え、何よりも優しく何よりも醜い空気の震え、私にもししなければならないことがあるのだとすれば、そういった震えの類を文字にして記録することと、アイデンティティの幻想に憑依された世界にただ佇む亡霊の様な彼女から目を逸らさないようにすること、多分それだけだ。